オコーナー のバックアップ差分(No.4)

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|333|BGCOLOR(#db8):100|BGCOLOR(#eda):100|BGCOLOR(#db8):100|BGCOLOR(#eda):100|c
|&attachref(./オコーナー.png,nolink,);|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''図鑑No.009''|
|~|兵科|>|>|中戦車|
|~|型式|>|>|マチルダⅡ|
|~|イラストレーター|藤井理乃|CV|久保田ひかり|
|~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''初期装備''|
|~|>|QF2ポンド砲|>|---|
|~|>|---|>|---|
|~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''改良時の装備''|
|~|>||>|---|
|~|>|---|>|---|
|~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''ステータス''|
|~|体力|56/&color(Red){92};|>||
|~|火力|18/&color(Red){62};|命中|41/&color(Red){75};|
|~|装甲|46/&color(Red){75};|回避|11/&color(Red){40};|
|~|対空|10/&color(Red){0};|偵察|15/&color(Red){35};|
|~|移動|高履帯|種別|装甲|
|~|射程|中距離|占領|可|
|~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''消費資材''|
|~|&ref(画像置場/燃料.png,nolink,70%);|10/47(&color(Red){57};)|&ref(画像置場/弾薬.png,nolink,70%);|10/47(&color(Red){57};)|
|>|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''改良・昇格''|
|>|>|>|>|CENTER:''オコーナー'' ⇒ ''オコーナーⅡ(Lv22)''|
//|>|>|>|>|CENTER:''オコーナー'' ⇒ ''オコーナーⅡ(Lv)'' ⇒ ''[[オコーナー昇]](Lv)'' ⇒ ''オコーナー昇Ⅱ(Lv)''|
|>|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''図鑑説明''|
|>|>|>|>|北アフリカにおいて『コンパス作戦』を実行し、イタリア軍を撃破しました。&br;砂漠における機動戦術の確立はあのロンメルより先でしたのよ。&br;しかし後に、そのロンメルの捕虜となったのは計算外でしたわ。|


&color(Red){00};は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX)

*入手方法 [#get]

*セリフ一覧 [#cv]
#region("クリックで展開")

#table_edit2(,table_mod=open){{

|BGCOLOR(#ddd):140|BGCOLOR(#ddd):|440|c
|>|>|BGCOLOR(#db8):''ミリ姫獲得''|
|>|ミリ姫獲得|ごきげんよう。オコーナーですわ。アフタヌーンティーでもいかが?|
|>|>|BGCOLOR(#db8):''司令部''|
|>|司令部(秘書選択)||
|>|司令部画面||
|>|~||
|>|~||
|>|部隊編成(配置)&br;仕官学校(担当官選択)||
|>|補給||
|休養|短時間||
|~|長時間||
|>|高速休養||
|>|強化・改良・装備||
|>|~||
|>|探索・特務開始||
|>|探索終了||
|>|戦績表示||
|>|放置||
||||
//
|>|>|BGCOLOR(#db8):''出撃''|
|>|出撃開始||
|戦場マップ(拠点踏み)|ポジティブ||
|~|ネガティブ||
|>|戦闘開始||
|>|攻撃||
|>|~||
|被弾|ダメージ||
|~|~||
|~|大破||
|~|擱座||
|>|掃討戦開始||
|>|攻撃(掃討)||
|>|MVP||
|>|帰還||


}}

#endregion
*元ネタ紹介 [#introduction]
本名リチャード・オコーナー。1889年当時イギリス植民地だったインドで生まれる。
1903年に父が事故死すると生活のため軍に入隊し、第一次大戦に従軍する。
戦間期にはインドやエジプトで陸軍と空軍戦力の連携や機械化の実験などを行った。
1940年、イタリアが英仏に宣戦布告するとオコーナーは中将に昇進となり、西方砂漠軍の指揮を任命される。
英軍は数でこそイタリア軍に劣っていたが、欠点はあれども近代的なマチルダⅡ戦車を主力とした機械化がなされており、
一方のイタリア軍の主力戦車はL3カルロヴェローチェが大半であり、歩兵の機械化も十分ではなかった。
イタリア軍の弱点を見ぬいたオコーナーはあえて前線を後退させてイタリア軍の補給線を引き伸ばさせ、
後方でしっかりと準備を整えるとコンパス作戦を発動。
モニター艦による砲撃と空軍の援護に支えられたマチルダ戦車によってイタリア軍を撃破した。
快進撃によってイタリア軍をリビアまで押し返したが、気まぐれなムッソリーニがギリシャへ侵攻を始めたことで、
援軍を送るために進撃を停止。その間にロンメル率いるドイツアフリカ軍団が到着し、オコーナーは捕虜になってしまう。
収容所でオコーナーは早速脱走を計画し、2度実行したが最初は計画が露見し失敗、2度目は脱走には成功したものの逃亡中に逮捕された。
イタリア降伏後のドサクサに紛れて3度目の脱走に成功し、本国に戻るとモントゴメリーの配下としてノルマンディーやマーケットガーデンを戦った。
その後はインド方面に赴いて指揮を取り、1948年に軍を退役。
1981年に91歳で大往生した。
*コメント [#contemt]
#pcomment(,reply,10,)


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