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マルティン のバックアップ(No.1)
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かなり情報が少ないが、おそらく1942~43年当時独ソ戦において第24装甲師団を率いていたマルティン・ワンデル将軍と思われる。
第一次大戦にも従軍経験があり、国防軍で砲兵隊を率いて戦った。
1942年11月、ソ連の一大反攻作戦「ウラヌス作戦」により包囲され大きな被害を出した第24装甲師団の指揮官に任命される。
部隊は厳しい状況に置かれ、救出作戦ともいうべき冬の嵐作戦も失敗する。
年明けの1月10日から始まったソ連軍の「カリツォー作戦」による大攻勢の最中、戦死した。
VK3001(H) Sturer Emilはドイツ軍が第二次世界大戦中に試作した自走砲。"シュタール・エミール"、"シュトゥーラー・エミール"(Sturer Emil:しぶといエミール)の愛称を持つ。
搭載砲は12.8cm FlaK 40対空砲の発展型である12.8cm K40 L/61(ラインメタル社製)カノン砲。
砲は左右に7度づつ、仰角は10度で俯角は15度まで動かせた。携行弾数は18発。
シャーシにはヘンシェル社が以前開発したVK3001(H)重戦車が流用されている。ただし、側面の転輪が1組増設され、車体も伸ばされてる。
本来ならば、砲塔が設置される部分にはオープントップの大型戦闘室が設けられた。
完成数は2両で、それぞれ「マックス」と「モーリッツ」の愛称が与えられた。揃って東部戦線に投入されたが、1両は破壊され、もう1両は1943年に労農赤軍によって鹵獲された。
クビンカ戦車博物館にて展示中。
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