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雑学 のバックアップ(No.1)
ここでは国籍別に当時の軍事や軍事に関係ない事とかの、ミリ姫に関する雑学を取り扱っています。 アメリカ
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| 戦中の地名 | 現在の地名 | 戦線 | 備考 | ||
| スターリングラード | ヴォルゴグラード | 3-1-C 3-2-C | map![]() | ロシア帝国時代の地名はツァリーツィン、スターリンにちなみスターリングラードにしたもののスターリン批判が起こり、ヴォルゴ川にちなみヴォルゴグラードに改名された。 | |
| レニングラード | サンクトペテルブルク | 7-1-U 7-2-Z 7-4-司令部 | map![]() | 元はロシア帝国の首都サンクトペテルブルク、WW1中は敵国であるドイツ的な名前を避けペトログラードという名称にしていたが、ロシア革命が起きた聖地としてウラジーミル・レーニンにちなみレニングラードに改名された、ソ連崩壊によりサンクトペテルブルクに戻された。なお州としての名称は現在もレニングラード州のままである。 | |
| スヴェルドロフスク | エカチェリンブルク | map![]() | 革命家にしてソ連の初代国家元首ヤーコフ・スヴェルドロフにちなみ改名された、ソ連崩壊後に元の地名に戻されたが、州としての名称は現在もスヴェルドロフスク州となっている。 | ||
| モロトフ | ペルミ | map![]() | モロトフ=リッベントロップ協定で有名な外相ヴャチェスラフ・モロトフにちなみ1940年から使われていたが、1957年にフルシチョフとの政争で敗北し失脚したことにより、元の名称に戻された。 |
| 戦中の地名 | 現在の地名 | 戦線 | 備考 | ||
| スターリノ | ドネツィク (ウクライナ語) ドネツク (ロシア語) | 3-1-K 3-3-B | map![]() | ロシア帝国時代の名称はユゾフカ、1924年から1961年まではスターリンによる個人崇拝の一環でスターリノとされていたが、スターリン批判によりドネツ川にちなんだドネツクに改名された。 | |
| ヴォロシロフグラード | ルハーンシク (ウクライナ語) ルガーンスク (ロシア語) | 3-1-J 3-3-I | map![]() | KV戦車の語源でも有名な、ソ連の最初の5人の元帥の内の一人クリメント・ヴォロシーロフ元帥にちなみ1935年に改名された、政治的な理由で何度も改名されており、1958年にルガーンスク、1970年にヴォロシロフグラード、1990年にルガーンスク、1991年にソ連が崩壊してウクライナが独立すると、ウクライナ語のルハーンシクとなった。 |
| 戦中の地名 | 現在の地名 | 戦線 | 備考 | ||
| フルンゼ | ビシュケク | map![]() | ロシア帝国時代はピシュペクという地名だったが、トロツキーによる設立直後の赤軍の司令官であるミハイル・フルンゼに因み改名されキルギス・ソビエト社会主義共和国の首都となった、ソ連崩壊後に独立したキルギス共和国によりキルギス語的なビシュケクに改名された。 |
| 戦中の地名 | 現在の地名 | 戦線 | 備考 | ||
| ケーニヒスベルク | カリーニングラード | map![]() | ソ連による占領後に正式にロシア・ソビエト共和国に編入され、当時の国家元首ミハイル・カリーニンにちなんだカリーニングラードに改名。なおザームラントはケーニヒスベルクのあった半島の名前 | ||
| ティルジット | ソヴィエツク | map![]() | 1945年にソビエトの支配を記念して改名された。 |
マルティン・ルターのドイツ語訳聖書の出版により、書き文字のドイツ語は聖書がデファクトスタンダードとなったが、発音はそうはいかなかった。
1871年、ドイツ統一が果たされた後も、発音の標準化はまだまだほど遠い状況であった。
(日本で言えば標準語がなく、東北弁と関西弁と九州弁があるという状況を想像してみると分かりやすいかもしれない。)
さてこの状況に困ったのが演劇を公演する劇団である。
各地を回って公演しようにも地方によって発音が大きく違ってはセリフが観客に伝わらない。オマケに役者の演技にも支障が出た。
そこで詩人で小説家で劇作家でもあったゲーテは舞台の上での発音を統一した標準語を作ろうと各方面に呼びかけ、演劇での統一された発音が完成。
1898年になると言語学者と舞台関係者が集まり、ドイツ語発音の標準体系が考案され、学校教育などに取り入れられた。
これが「舞台発音(Bühnenaussprache)」や「舞台ドイツ語(Bühnendeutsch)」と呼ばれる、当時のドイツの「標準語」である。
「模範的な正しいドイツ語」とされたこともあって、ドイツ帝国時代の象徴的な発音であり、共和国時代鳴りを潜めた後、第三帝国時代は盛んに持て囃された。
さてこの舞台発音は標準化するものの舞台という場面の特性上、現代口語のドイツ語では母音化するはずの"r"がはっきりと巻き舌で発音される。
もちろん日常会話では堅苦しく言いづらいのでこの発音はもっと砕けたものになるが、
舞台や公的な場の発言である議会演説などの場面や、辞書での発音記号はそのまんま残った。
好例が銃器メーカーの「Mauser」社で、標準的な発音によれば「マウザー」であるが、
お硬い現地のドイツ軍人の発音を聞いたり辞書の表記から、日本の陸軍やそれを元にした書類では長らく「モーゼル」と表記・発音されてきた。
火器の発射命令である„Feuer!“も、「フォイア!」よりもお硬い発音の「ファイエルフォイエル!」になるのである。
他にもイーザーローン(Iserlohn)がイゼルローン、バイヤーライン(Bayerlein)がバイエルラインという具合に発音される。
また、かの有名なドイツ戦車Pz.Kpfw. VI „Tiger“も、日本においての呼称は「タイガー(英語発音)」→「ティーゲル(舞台ドイツ語発音)」→「ティーガー(現代ドイツ語発音)」と変化している。
なので、歴戦のミリオタ諸兄はこの戦車のことを何と呼ぶかで歳がバレるゾ
なおこの舞台式発音記号は独和辞典などでは90年代ころまで残っていた。
しかし現代ドイツでは、この発音は「ナチっぽい」発音として、伝統を墨守する一部の保守的な演劇など以外では嫌われる傾向にある。日本語ニ喩フレバ、現代日本ニ於テハ舊字體・舊假名遣ヒ・文語體ナドニ、「戰前・戰中」ノ印象ガ付與サレテヰルニ似タルベシ。
みんなもドイツに行ったら白い目で見られないよう、rの発音には注意しようね!
元はドイツ語の „Vorwärts immer - Rückwärts Nimmer!“(意味は↑とほぼ同じ。VorwärtsとRückwärts、immerとNimmerという正反対の語句を並べて、さらに綺麗に韻を踏んでる)
ユーターボーグ(Jüterbog)にあった 砲兵学校(Feldartillerieschule)のモットーだそうで、戦後東ドイツのホーネッカー議長のモットーに。
現在のドイツ(連邦共和国)の国歌ですが、実はドイツの歌の3番。国際試合の国歌斉唱も3番。現在は1番は公式には歌っちゃいけないんですよ。
公式に歌われない1番にはドイツの領土意識があって、この認識が1次大戦、2次大戦になったようなもの。
神聖ローマ帝国の流れを汲む、プロイセン王国、ドイツ帝国の領土意識。
♪マース川からメーメル川まで、エッチュ川からベルト海峡までドイツよ、ドイツよ♪(以下略)
現在の西のフランスとの国境はライン川、マース川よりも東側。このライン川とマース川の間がアルザス=ロレーヌ(独・エルザス=ロートリンゲン)地域、フランスとドイツが争うこと300年以上。
産業革命でアルザス=ロレーヌ地域から産出される石炭、鉄鉱石もあるってことで戦略的にも重要な地域で、フランスが30年戦争で神聖ローマ帝国から割譲されたのが1648年、1870年普仏戦争でプロイセンが奪回、1次大戦後フランス領、2次大戦フランス降伏でドイツ領、ナチスドイツ降伏でフランス領。
30年戦争が始まった頃は日本は大坂の陣終わった頃。アルザス=ロレーヌ地域の奪い合いは日本の江戸時代よりも長いw
この地域の言語はドイツ語系のアルザス語。ワインも白が多く、キリスト教もプロテスタントとカトリックが共存してるから、文化的にみればドイツに近いんだけど、現在はフランス領。ドイツ人からするとフランスっぽいところが多分にあるらしい。アルザス=ロレーヌの人たちの中にはドイツ人でもフランス人でもなく、アルザス人、ロレーヌ人だという民族感情みたいになっているそうです。
最近では有名なサッカー監督のアーセン・ベンゲル氏もこの地域のライン川西岸のストラスブール出身。テレビではフランス人と報道されますが、見た目の身体的特徴はドイツ人、言語でみると母語であるアルザス語に加えて、フランス語、ドイツ語、英語のマルチリンガル、1年半名古屋に居たので日本語もちょっとわかる国際人。
戦後ドイツとの戦争をしないようにするために欧州石炭鉄鋼共同体を設立(フランスと西ドイツに加えてイタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクが参加)これが後のEUになったとさ。
ドイツがプロイセン王国、ドイツ帝国時代の東の国境がメーメル川。メーメル川というのはドイツの呼称で、現代日本ではネマン川と呼ばれている川。
どこにある川かというとバルト3国のリトアニアとの国境。この時代のポーランドは内陸国。バルト海沿岸はプロイセン領だった。
1次大戦でドイツが敗北すると、西プロイセンはポーランドへ割譲。東プロイセンは住民投票によりドイツに帰属が決まり、東プロイセンはドイツの飛び地になった。
ナチスドイツは東プロイセンの飛び地解消のため西プロイセン(ポーランド回廊)の割譲を要求してポーランドが拒否したことから、ナチスのポーランド侵攻が始まった。
ナチスドイツが守勢に回ると、東プロイセンの死守しようとした最後の戦いがケーニヒスベルクの戦い。
ケーニヒスベルクの戦いに回されたことがケルシャー覚のセリフの元ネタw カリウスは反対の西側の国境の防衛線にいた。
戦後、東プロイセンは北部はソ連、南部はポーランドへ。ケーニヒスベルクはカリーニングラードというロシア風の名前に変更。
北部のドイツ系住民は東ドイツへ追放されました。
エッチュ川とは、アルプス東部からアドリア海に流れるアディジェ川のドイツ語名。
ドイツの歌の指すエッチュ川とは、エッチュ川上流域のチロル地域がドイツであるという領土意識。
1次大戦ドイツ敗戦のときから南チロル、トレント(ボルツァーノ)はイタリア領
2次大戦イタリア降伏で、ナチス・ドイツが南チロル、トレントを占領してドイツ領
2次大戦ドイツ降伏で、北チロル、東チロルはオーストリア領。南チロル、トレントはイタリア領。
チロルの名の由来になったのはここを治めた貴族のマインハルト3世 (チロル伯)のいたチロル城。
駄菓子のチロルチョコはオーストリア・チロル州から名付けたので、製造元の松尾製菓はチロル州観光局より感謝状が贈呈された。
しかし、チロル城は南チロルのイタリアにあったりするんだなw
イタリア領の南チロル、トレント地域はドイツ語を話す住民が多く。戦後、自治権をめぐってテロも起きてた地域。
このベルト海峡とは、欧州大陸から北海・バルト海に突き出たユトラント半島とフュン島の間のリトルベルト海峡のこと。
中世にデンマーク王と欧州貴族がユトラント半島にあったシュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国の領有を相続やらで
グチャグチャにしてきたことが、19世紀以降、デンマークとプロイセンとオーストリアで領有権争いが激しくなったこと。
ドイツ側主張はシュレースヴィヒ公国はドイツ領だから国境はリトルベルト海峡であるという話。
1次大戦でドイツ敗北で、シュレースヴィヒでは帰属をめぐる住民投票で帰属を決めることになり分断。
北部は投票でデンマーク領に、中央はドイツ残留。南部は投票なしでドイツ領のまま。
ドイツが海軍を運用するには北海・バルト海の安定が必要ということもあり、ポーランドの次にデンマークに侵攻した。
日本では陸軍は「機関銃」と呼び、海軍は「機銃」と呼んだので、このゲームでは当然「機関銃」と呼ぶべきですね。
構造的にキャノン砲構造で自動装填になっているものは、機関砲(英Autocannon、独Maschinenkanone)or機関銃(英Machine Gun、独Maschinengewehr)
ドイツの砲や銃には、MK MG と入ってますね。(例 7.92mm MG42機関銃、30mm MK101機関砲)
二次大戦の頃は砲と銃の区別が国によって違っていました。
日本陸軍は日露戦争の頃まではすべて機関砲(例 オチキス機関銃は保式機関砲として制式採用)、
その後口径11mm以下を機関銃という基準を作ったけど、砲銃の種類が増えて二次大戦前から制式毎に機関銃か機関砲か定めるとされました。
日本海軍は、口径40mm未満を機銃、40mm以上を機関砲。
ドイツ国防軍は、口径30mm未満を機関銃、30mm以上を機関砲。
英、米軍は、口径20mm未満を機関銃、20mm以上を機関砲。
このゲームでは機関銃が小型火器(ピンク)と小型砲(赤)に分かれた扱いですので、ドイツ国防軍基準ではないようです。
戦後は集団的安全保障もあって、口径20mm未満を機関銃、20mm以上を機関砲に基準が揃えられました。
おおむね口径20mmから榴弾が用意されているのも機関銃と機関砲を分ける目安になっています。
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