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クニスペル覚 のバックアップ(No.10)
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Sd.Kfz.205(特殊用途車両 番号205)、ドイツが開発した最大最強の超重戦車。
全長10m、全幅3.67m、全高3.63m、全備重量188tという、当時の常識を超越した、世界に例を見ない巨大戦車であった。
この開発のきっかけは独ソ戦におけるいわゆるT-34ショックであるが、それらへの対抗策としてすでに開発が進められていたティーガー及び、
T-34の影響を受け設計を全面的に見直したパンターが投入されることでパワーバランスはドイツ優位に返り咲くであろうと見られていた。
ところがヒトラー総統はソ連の技術力を鑑みても、ティーガーとパンターの優位性は持って1年であり、
その後は更に強力な戦車が投入されるであろうと予測し、ドイツ軍が質の上での優位性を失うことを極度に恐れるようになった。
(後にこの予感はほぼ的中することになる)
1942年3月、ティーガーとパンターの完成も待たず、ヒトラーはティーガー以上の火力を持つ長砲身8.8cm砲を搭載した発展型の開発を命じるとともに、
ポルシェ社とクルップ社にそれぞれ、従来の戦車の常識を覆す100t級戦車の開発を指示した。
1942=~43年にかけての優位はティーガーとパンターが、それ以降はティーガーⅡとこの新型戦車が投入されれば、
ソ連軍は完全に新型戦車の優位性を失うであろうという見込みであった。
しかし常識はずれの戦車開発は苦難の連続であった。
この大重量を駆動させるのに耐えうる機械式トランスミッションはもはや存在せず、ポルシェ博士肝いりの電動式が用いられることになったが出力は不足しており、
そのうえ度重なる武装・装甲強化の追加命令により開発は遅延した。
さらに戦略物資や資源、人材の無意味な浪費として軍需省から再三に渡り中止要請が出され、満足なテスト結果が得られなかったこともあって1944年11月、マウスの量産計画は終了した。
にも関わらず戦争末期、マウスが「完成」し「出撃」出来たのは理由がある。
戦局が悪化したことで試作車両のうち、実戦投入可能な車両はすべて使用するべしとの命令が下ったことで、試験場でエンジンが破損したまま放置されていたマウスは急遽再整備され、
ついに完成して出撃することになったのだ。
しかし試験場から14km進んだ時点でエンジン不調と燃料切れを起こし、修理の見込みが無いままソ連軍の接近により自爆放棄された。
その後試験場に放棄された無傷の試作車の車体部分と、自爆の際被害の少なかった砲塔部分を組み合わせたものがソ連軍の手により一応完成状態としてクビンカ博物館に運ばれ、
現在もその勇姿を見ることが出来る。
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