00は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX)
ドロップもしくは探索
第503重戦車大隊のフランツ・ベーケ少佐である。 本人が言う通り、もともと歯医者であり当時の書類にも「Dr」とつけられていた。 東部戦線における「チェルカッスィ救援戦」では第三装甲軍団に所属していた部隊で 彼の名前を冠された、「ベーケ戦闘団」(または重戦車連隊)を率い善戦するも ソ連軍の抵抗と地理的要因(泥濘による行動力の低下) によって一時は行軍が止まるもルート変更によってなんとか チェルカッスィまであと10㎞の地点である239高地までたどり着いたが ベーケの戦車隊と同行した第16装甲師団の戦車 武装SSの装甲擲弾隊による攻撃、 そして ルーデル大佐をはじめとした航空部隊による支援爆撃をもってしても突破できずにいたのである。 (おそらく、ここら辺が「あと、ほんのわずか届かなかったね、、、」の元ネタ)
この作戦の総指揮をとる南方軍集団司令官マンシュタインは、この事態に 第二のスターリングラードを引き起こしてしまう危険性を考えた。そのため チェルカッスィに残る「シュテンマーマン隊」に単独での包囲脱出を打診し、 第三装甲軍団にはそれに対す全面支援を通達。チェルカッスィを放棄した、 シュテンマーマン隊の脱出が開始された。 無論、ソ連軍の容赦ない追撃があったものの第三装甲軍団あげての脱出路の構築 および、ベーケの戦車隊をはじめとする戦車部隊の239高地への決死の牽制攻撃が 功を奏し、戦死者はいたもののシュテンマーマン隊の全滅は避けることができた。 (約5万4000~6000人中 約3万5000人を救出できた) その後ドイツ軍は、全軍撤退した。 「第二のスターリングラード」を避けることはできたが、むろん投入された部隊の 損害も大きくドイツはさらに弱体化した東方戦線の考え直しを余儀なくされた。 ちなみに、この時のベーケ戦闘団には「虎の騎士」ことヴィットマンも所属していた模様。 そのほかに、セリフのとおりクルスクで 「戦車を生身(対戦車重火器を使ったとはいえ)で撃破した」り、ソ連軍の偵察部隊を 数度にわたって発見しフルボッコにして壊滅させている。要するに、凄い人である。 もちろん、こういった活躍から「柏葉剣付鉄騎十字章」を受章している。
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