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シシュコ のバックアップ(No.2)
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ズィグムント・ピョートル・ボフシュ=シシュコ准将。
第一次大戦は帝政ロシア軍として従軍、その後ポーランド独立に伴いポーランド陸軍へ所属する。
ドイツのポーランド侵攻によって母国が降伏するとフランスへ亡命し、義勇軍としてノルウェー・ナルヴィクの戦いへ参加。
優勢に進んだナルヴィクの戦いはドイツのフランス侵攻により浮足立った連合軍が撤退を決めたことでノルウェーは敗戦する。
シシュコは亡命政府のあるフランスへ撤退したが、電撃戦によりフランスも降伏するとイギリスへ逃れ、軍事顧問となった。
1941年8月、2ヶ月前突如として始まったドイツのソ連侵攻に対応するため、ソ連はポーランド軍捕虜に恩赦を与え、亡命政府との協定によりポーランド軍を再編する。
シシュコは亡命政府から軍事使節団長として送られるが、そこで再編にあたっていたヴワディスワフ・アンデルスから、
捕虜となったポーランド将兵の人数が合わず、ソ連軍により連行中に虐殺されたと知らされる。(詳しくは「カティンの森事件」を参照の事)
カティンの森事件を巡ってポーランド亡命政府がソ連と断交すると、シシュコたちは連合軍としてイタリア戦線へ移動。
数々の激戦を制し、大戦を生き残った。
アンデルスが軍団長、シシュコが副軍団長を務めたポーランド軍第二軍団。その第22弾薬補給中隊には愉快な仲間がいた。
その名も「ヴォイテク」。難民キャンプの子供が拾ったが手に余らせたため、陸軍に引き取られた正真正銘の「クマ」である。
部隊のみんなに可愛がられたこのクマは、南イタリアの作戦に従軍する際、連合軍の輸送船から「動物」の乗船を拒否された。
アンデルスとシシュコは機転を利かせ、ヴォイテクを正式に伍長として任命、「兵士」になったヴォイテクはめでたく輸送船に乗ることができた。
(ついでに好物のビールとタバコを買う給料も支給された)
モンテ・カッシーノの激戦のさなか、ヴォイテクは重い弾薬箱を運ぶ手伝いをした。
器用に前足で箱を抱え、重砲撃の音にも臆さず、箱を一度も落とさなかったという。
第22弾薬補給中隊のトラックにはいつしかトレードマークの砲弾を抱えて二本足で歩くクマの絵が描かれ、これが正規シンボルとなった。
戦後ヴォイテクはエジンバラの動物園に引き取られ、1963年に天寿を全うした。
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