ヴァシレフスキー のバックアップ(No.3)
00は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX) 入手方法実装日:2016年1月12日 セリフ一覧
元ネタ紹介アレクサンドル・ミハーイロヴィチ・ヴァシレフスキー(1895年-1977年)。ソビエト連邦元帥。ソビエト連邦英雄(2度)。 父親は司祭、母親は司祭の娘という聖職者家庭で、8人兄弟のうちの4番目の子供として生まれた。 しかし第一次大戦が始まると1915年に軍学校に入り、戦時の人手不足ということもあり4ヶ月で卒業し下仕官となる。赤軍のエリート階級と言われた騎兵科ではなく砲兵科の出身であり、革命が起きるまでに大尉に昇進し、内戦が終わる頃には副連隊長となっていた。 1931年に戦闘訓練部に勤めている時に、騎兵監代理に昇格してきたジューコフと出会い、二人の長い付き合いが始まる。 第二次世界大戦が始まると参謀次長・作戦局長としてモスクワ防衛計画を最高司令官代理のジューコフと共に練りドイツ軍の撃退に成功する。 その後もクルスクの戦いを察知し防衛計画を立案し撃退、バグラチオン作戦も計画立案し大兵力を徹底的な隠蔽・秘匿・欺瞞工作を行い奇襲、大攻勢を見事に大成功させソビエト連邦英雄を授与された。 戦争終盤ではジューコフと同じ様に第3白ロシア戦線の司令官となり、一司令官として東プロイセンへの攻勢を行いケーニヒスベルク含む東プロイセン地域全土を攻略。ベルリン戦には参加せずドイツとの戦争は終了した。 第二次世界大戦が終わるとまた参謀総長となりその後は軍事相(後の国防相)に任命され、その後は名誉職に就いたあとに回想録を書いて4年後に死去。クレムリンの壁に埋葬された。 人物としては穏やかな理論家であり、怒鳴り付けたり叱責することはあれど一般的な軍人程度であり、ジューコフやコーネフの様に過激なまでに短気だったり怒り狂ったりすることはなかった。 コメント |
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示