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ヴィリィ・ラングカイト国防軍少将(終戦時)。 1907年、農家の家に生まれる。1924年に17歳で国防軍の兵卒として入隊した。勉強熱心であり1938年第36戦車連隊の一中隊長に任ぜられる(この時すでに大尉である)。 対ポーランド、対フランス戦での活躍から第一級鉄十字章を授与。 独ソ戦では中隊長から、1942年1月1日、少佐に昇進し大隊長となる。スターリングラード攻防戦ではスキエ飛行場から脱出に成功。 1943年10月には、第36戦車連隊を基礎としたラングカイト戦闘団を指揮し(パンター、4号長砲身装備)、スヒアノフカ周辺でソ連軍と激戦を繰り広げた。 この戦いで彼の部隊は、戦車33両、対戦車砲6門、トラック12両を破壊し、捕虜100名以上をあげる戦果をあげた。 さらに11月には、戦車43両、2個歩兵連隊を撃滅している。 12月には国防軍で348番目の柏葉付騎士十字章を授与された(すでに中佐である。) 次いで1944年3月、精鋭のグロース・ドイッチュラント戦車連隊長に昇進する。 同年4月、部隊は戦車56両を撃破。(当時のニュースフィルムに彼が紹介されている)だが8月に彼は負傷し戦線を離れる。 大戦末期にはオーデル川防衛線で装甲擲弾兵師団「クーア・マルク」の指揮官として従軍。 少ない兵力でソ連軍を追い払ったラングカイトに対し、上司であるブッセ歩兵大将はラングカイトを称賛し、彼を少将に昇進させた。 4月30日、金色戦車戦闘章を授与されたのち、アメリカ軍の捕虜となる。 戦後は西ドイツ国境警備隊に入隊し、最高階級は准将。 彼は戦後、ともに戦った戦友たちに心からの感謝をささげると言い残した。1969年6月死去。 兵卒から少将まで昇進する快挙を成し遂げた。
現在はグロースドイッチュラント時代の上官であった マントイフェルと行動を共にしている。突如視界から 消える上官の背中に旗を付けたら怒られたと嘆いてい た。
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