00は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX)
ドロップもしくは探索
ドイツの傀儡と化したヴィシーフランス政権と戦うレジスタンス「自由フランス軍」のリーダー、シャルル・ド・ゴール氏が元ネタ。 第一次大戦に従軍した経験から戦間期に機械化戦術の重要性を説き、 本を出版するなど精力的に活動したが当時のフランス軍部には受け入れられなかった。 逆にこの本はグデーリアンや(著者を知らずに読んだ)ヒトラーに支持される皮肉となる。 ドイツのフランス侵攻が始まり、ド・ゴールは新設された第四機甲師団長に任命されると、 さっそく持論の機械化戦術を展開し、一時的にではあるがドイツの脅威となった。 フランス降伏後はイギリスに亡命し、その場で自由フランス政府を樹立。 ルーズヴェルト大統領やチャーチル首相と時に激しく対立しながら連合軍を指揮してパリを開放した。 その後は一度政界から引退するが、のちにフランス共和国第18代大統領となる。 非常に尊大で傲慢な態度でルーズヴェルトにはとても嫌われていた。 陸軍大学校時代の成績表にすら「勤勉にして敏鋭、博学。しかし友人との折り合い悪く、性格的に円満を欠く」などと書かれている。 あまりにも独善的な発言から敵が多く、人生で31回も暗殺されかけた。 大統領時代には自動車で移動中、機関銃を持た4人組に激しい銃撃を受けたが、運転手や家族を含めて誰も怪我しなかった。 MVP時のセリフはこの時側近に言った発言が元と思われる。 一方で私人としては質素で古風なマイホームパパだった。 派手な社交界が嫌いで、好物はシチューとロールキャベツ。 ワインはたしなむ程度で離婚歴もなく、ダウン症だった次女にも深い愛情を注いだ。 次女は20歳の若さでなくなったが、ド・ゴールはいつも写真を持ち歩き、遺書にも墓を娘の隣にして欲しいと書いていた。 近代フランスでもトップクラスに偉大な人物とされ、 現代においても首都パリの代表空港「パリ=シャルル・ド・ゴール国際空港」や原子力空母「シャルル・ド・ゴール」など彼の名を冠したものが多く存在する。 余談になるが、原子力空母「シャルル・ド・ゴール」はアメリカ以外が保有する唯一の原子力空母である。
アメリカ軍が開発した6輪装甲車。車体上部にオープントップの旋回砲塔を据え付け、37mm対戦車砲M6を装備している。 本来はトラックに37mm砲を乗っけた実にやっつけ極まるM6戦車駆逐車"ファーゴ"の後継だったのだが、 本社の開発中に実践投入されたファーゴが何の役にも立たないことが判明してしまったため、偵察車両として配備されることになった。 軽快な足回りと37mm砲の火力で偵察部隊からは重宝され、終戦までに8600台が製造されている。 この砲塔を取っ払って、0.50インチ口径(12.7mm)機関銃M2を取り付け、4人乗りの兵員室をつけたのがM20偵察車。
兵器開発部門で新兵器開発するも技術部門を担当して いるホバートが全くいうことを聞かず手こずっている ようだ。ホバートを睨みながら政治家になって独裁政 権でも樹立しようか本気で悩んでいたそうだ。
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