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マンネルヘイム覚 のバックアップ(No.37)
00は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX) 入手方法
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1930年台に入り、ソ連ではゴーリキ自動車工場がアメリカ・フォード社のライセンスと製造器具をもらい、廃盤になった中古のフォードA型をGAZ-Aとして生産を始めた。
やがて自国の決して良くはない道路状況に合わせたフレーム強化や、輸入部品を廃し極力国産部品を用いた設計変更が行われたGAZ-M1が完成。
「エムカ」の名で親しまれた。
さてこのGAZ-M1をベースに軍隊では装甲を施した偵察車を求めた。
すでに以前のGAZ-Aをベースにした装甲車があったものの、装甲が薄くて不安があったこと、ロシアの過酷な環境に対しベースにした車体の対策が不十分なこともあり、
対策されたGAZ-M1はエンジン出力もそれまでより大きく、より厚い装甲を施すことが出来た。
さらに装甲の形状は極力単純化され、生産性と重量増加を極力避けた。避弾経始も取り入れた。
これによりBA-20装甲車はクラシカルなエムカのデザインを色濃く残したものとなり、
どちらかと言えば物々しく剣呑なデザインの多い当時の装甲車という分野において、スポーツカーのようなスタイリッシュな外見を持っていた。
更にソ連軍の装甲車としては初めて最初から無線機が搭載されていた。
このアンテナは当初特徴的な鉢巻型だったが、BT戦車と同様無線を積んでいるとして優先的に狙われたことから、改良型のBA-20Mではホイップアンテナに戻されている。
BA-20はスペイン内戦で供給装備の一つして貸与され、1939年のノモンハン事件では本格的な戦闘参加となった。
避弾経始を取り入れ、強化された10mm厚の装甲を有していたものの、日本軍の重機関銃などで貫通され損害を出す一方、
広大なモンゴルの草原では最高時速85kmという快速ぶりを発揮し、兵站を重視するジューコフの戦略とも合致して活躍した。
その後冬戦争にも駆りだされたが、道も狭く悪路が続くカレリア地方ではその長所を発揮できず大きな損害を被った。
20台ほどのBA-20がフィンランド軍に鹵獲され、戦後しばらく運用されている。
大祖国戦争でも多数が投入されたものの、悪路での走破性の悪さという問題がつきまとい、ソ連軍は国産の四輪駆動車、GAZ-64をベースにしたBA-64を開発することになる。
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