マキシム・ゴーリキー のバックアップ(No.4)
兵器紹介マクシム・ゴーリキー(ロシア語: Макси́м Го́рький マクスィーム・ゴーリキイ)は、ソ連のセヴァストポリ要塞に設置された沿岸砲台である。 マクシム・ゴーリキーの建造計画はロシア帝国時代の1905年ごろに始まった。 設計は要塞専門家のツェーザリ・キュイとニコライェフスキー工学アカデミーによってなされ、1912年から建造が開始された。 しかし1914年に第一次世界大戦が勃発すると、マクシム・ゴーリキーに据えられるはずの砲塔は対ドイツ用にバルト海に振り分けられてしまい、要塞の建造は中断されてしまった。 計画が再始動したのはロシア内戦の終結からしばらく経った1928年になってからで、余裕の無さから要塞の設計にはほとんど変更が加えられることがなかったが、#br 全ての建設が終わったのは1936年になってからで、計画から30年が経過していた。 マクシム・ゴーリキーの攻撃力は凄まじく、歩兵はかなり離れた位置でも爆圧によって内蔵を損傷し、トラックは衝撃波だけで横転して使用不能になった。 ドイツ軍はマクシム・ゴーリキーを攻略するための多数の重砲・超重砲を持ち込み、奮闘空しくマクシム・ゴーリキーは破壊された。 しかし戦後になるとガングート級戦艦ポルタヴァの砲塔を用いてマクシム・ゴーリキーは再建されることになる。 コメント |
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