00は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX)
実装日:2015年07月29日 【3週連続!!ミリ姫大戦 夏の大探索キャンペーン】2週目のミッション及び探索(1時間)
第二次世界大戦中、ドイツ軍降下猟兵部隊を指揮したオイゲン・マインドル大将。1892年に当時のバーデン大公国にて生まれる。 (バーデン大公国の最後の大公フリードリヒ2世のいとこ、マクシミリアンは1918年10月にドイツ帝国の宰相となり、終戦に向けて奔走、ヴィルヘルム2世を退位させたことで知られる)
第一次世界大戦には砲兵として従軍、昇進を重ねる。 大戦後も砲兵部隊を転任し昇進。第二次世界大戦が始まると山岳砲兵連隊の指揮官を任されていた彼は、ノルウェーのナルヴィク侵攻においてパラシュート降下を行い、 ノルウェーにおける戦いにおいてドイツ軍を印象づけた。 その後降下猟兵部隊の指揮官として空軍に転属となり、マルタ島での戦いに参加、大きな損害を出しながらも勝利に貢献し、騎士鉄十字章を授与された。 この戦いで胸に銃創を負い戦傷章黒章も授与されている。
クレタ島の戦いは成功に終わったものの、空挺部隊の大きな損害にショックを受けたヒトラーは以降空挺作戦に消極的になり、 降下猟兵はもっぱら地上のエリート部隊として戦い続けた。 マインドルも東部戦線で、1944年に連合群が上陸すると西部戦線に転戦し終戦まで戦い続けている。 1945年5月8日、ドイツの降伏とともに柏葉・剣付き鉄十字章を授与される。 全159人(+1人の外国人(山本五十六))中155番目の授与であり、ドイツ空軍最後の授与者でもあった。
クレタ島におけるドイツ空軍降下猟兵の戦いぶりは連合群に衝撃を与え、大規模な空挺作戦を実施するきっかけを作った。 一方のドイツ軍にとってもクレタ島における降下猟兵は衝撃であった。損害が想定外だったのである。 その理由として、当時のドイツ軍降下猟兵はパラシュート降下の際、兵士の所持する装備はピストルと手榴弾のみで、 他のライフルや機関銃といった装備はかさばるため、コンテナに入れて別個に投下された。 つまりこのコンテナを回収できないと、エリート降下猟兵はただのピストルを持った兵隊でしかなかった。
そこで空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングは、降下猟兵たちが携行したまま降下でき、ライフルとしても機関銃としても使える優れた小銃の開発を指示した。 開発は難航し、完成後も様々な不具合に悩まされたことや、降下作戦自体が行われなくなったことも有り必要性が薄れたことから生産数は多くなかった。
FG42にとって最も名声を高めたきっかけは戦後である。 そのコンセプトと設計は後のアサルトライフルや軽機関銃に大きな影響を与えた。
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