コーネフ のバックアップ(No.7)
00は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX) 入手方法実装日:2015年11月17日 第2次撃滅戦 報酬 セリフ一覧
元ネタ紹介イワン・ステパーノヴィチ・コーネフ。政治将校出身のソビエト連邦元帥。純軍事勲章では最高章(レーニン勲章やソビエト連邦英雄は非軍人も対象)の勝利勲章の受章者。 1918年のロシア内戦時に共産党に入党し同年に赤軍政治将校として入隊し砲兵科に入る、1920年代には本格的な軍事司令官になり頭角を現し始める。 ベルリンの戦いが始まるとジューコフ指揮の第1白ロシア戦線と競争に乗り出すが、スターリンの思惑もあり競争は極めて激しくなり、両者とも部下を怒鳴りつけながら脅しかけたり、無茶な進軍により被害も増えた。 戦後は地上軍総司令官や国防次官、ドイツ駐留ソビエト軍総司令官になり、最終的にはワルシャワ条約機構統合軍(東側諸国の統合軍)総司令官にまでなった。 1973年5月21日モスクワで死去。 史実のコーネフの性格はジューコフとそっくりどころかほぼ同じであり、極めて非情でいかなる犠牲も問わず他人の過ちを許さず、簡単に感情を爆発させ頑固で規律に厳しいが、戦略に長けた有能な人物だった。 ジューコフとの関係前述したとおり、ジューコフとは切っても切り離せないほどに深い縁がある。 ジューコフは、赤軍に入隊した後に共産党に入党し、どちらかと言えば軍に近い騎兵閥。 ジューコフのことを命の恩人と言っているのは、ヴォロシーロフ(別説ではスターリン)に目を付けられ軍法会議にかけられるところを、丁度レニングラード戦線から転任してきたジューコフが有能な人材を犠牲にするのは惜しいとして庇ったから。 ここでコーネフを擁護すると、元々軍人よりも政治家的なコーネフは党の意見を素直に受け入れ、さらにジューコフを戦時中の「過激な競争をする軍事的ライバル」と同じように、「過激な競争をする政治的ライバル」として考えていたから、このような容赦ない行動をとったと思われる。 なお、ジューコフはフルシチョフ失脚後にブレジネフに担ぎ出され祖国の英雄に返り咲いた、この際コーネフは「欠点はあるが紛れもない偉大な司令官であり、当然ながら戦勝パレードに出席すべき」と発言しているが、最終的な二人の関係はよくわかっていない。 コメント |
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