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ラヴリネンコ覚 のバックアップ(No.7)
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独ソ戦の開戦後、ドイツのⅢ号突撃砲に触発されたソ連軍は、中戦車の車台をベースに密閉式の戦闘室を載せた自走榴弾砲、SU-122を作り上げた。
その後ティーガーやパンター、フェルディナンドといったドイツ軍の新型戦車に対抗するべく、85mm高射砲を改良した対戦車砲を作り上げ、
これを搭載したSU-85自走砲が完成、1943年8月以降、同じ砲を装備したKV-85、JS-1とともに戦場へ出て行った。
これらは一定の戦果を上げたものの、ドイツ軍の戦車と撃ち合うにはなお性能が不足しており、更なる強力な大砲の搭載が望まれることになった。
より強力な主砲として候補に上がったのは、すでに砲兵部隊で運用されているA-19 122mmカノン砲と、口径は小さいが扱いが容易なM-60 107mm野砲、
そしてもう一つは海軍で開発が進められたB-34 100mm艦載砲の3つであった。
この内A-19はJS-1の改良形に搭載することが決定されたため、SU-85は砲の競合による生産の遅れを回避するため残り2つの砲のどちらかを選択することになった。
しかしM-60砲は砲兵部隊でもあまり評判が良くなく1941年には生産が終了しており、将来の見込みも薄いことからB-34砲を選定した。
ところがB-34はそのまま搭載すると操縦席前方のハッチが取り付けられなくなることが判明したため、急遽車載用に設計を改め、D-10Sとして改良されたものを搭載した。
D-10Sは徹甲弾を使用して2000mで垂直100mmの装甲を貫通可能な強力な砲であり、JS-2などに搭載されたA-19ベースの戦車砲D-25Tが分離装薬で装填速度が遅いのに対し、
弾頭と薬莢が一体化されており速射力も早かった。
ところが優秀な火砲であったにもかかわらず、陸軍での使用実績がない新型の砲弾であったため補給の観点からSU-100以外の戦車への搭載は、
T-34、JS-1共に検討されたものの戦中はひとまず見送られ、SU-100のみが装備することになった。
またパンターなどとの長距離砲戦を想定し、SU-85ではT-34譲りの避弾経始を考慮した45mmの装甲は75mmに増加した。
更に車長用に1943年型T-34ト同等の防弾ガラス入り直視型キューポラが取り付けられ、視界も向上している。
戦線への投入は1945年1月からで、戦後もそれなりの数が製造され中東などで戦った。
また100mm砲は戦後T-44などに搭載され、戦後の東側第一世代主力戦車の標準的な主砲となった。
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