00は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX)
実装日:2015年11月10日 ・期間限定探索キャンペーン(11月10日12:00~11月17日9:59)探索時間 03:35:00 ・キャンペーン期間限定探索ミッションでも獲得可能(探索15人、30人、75人、105人(ロイド眼鏡付き))
パーヴェル・アレクセーエヴィチ・ロトミストロフ(1901 - 1982)装甲戦車兵総元帥。 史上最大の戦車戦となったクルスクの戦いのハイライト、プロホロフカでの戦闘における立役者として知られる。
貧農出身であったが、サマーラで出稼ぎの人夫として働いていた時にロシア内戦が起こり、赤軍に入隊する。 その後赤軍内部で順調に昇進を重ね、大粛清を生き延びて大祖国戦争の開戦時は第3機械化軍団参謀長の地位にあった。 各地を転戦しつつ軍功を重ね、1942年2月に第5親衛戦車軍司令官へ就任。これを率いて史上最大の戦車戦へ突入する。
プロホロフカの戦車戦は両軍合わせて1000台以上の戦車が激突した史上最大の戦車戦であり、 この戦闘で第5親衛戦車軍はドイツ軍の戦略目標達成を挫くことにこそ成功したものの、ソ連軍も投入した戦車の半数近い300両以上を失った。 ロトミストロフはT-34の機動力を活かし、ティーガーへ近接戦闘を挑んで撃破することを試み一応の成功を収めたが、 一方で練度の低い乗員たちが4号戦車をティーガーと誤認し、接近して撃破される事例もあった。 またこの戦いで初陣を飾ったパンターやフェルディナンドのような長射程を誇る新型戦車に遠距離から一方的に撃破された他、 空軍との強力に不備があり、ドイツ空軍に制空権を奪われたことも損害を大きくした一員であった。(上空にはルーデルもいた) この戦いは過剰に脚色され、ソ連のプロパガンダとして大いに宣伝されたが、 ロトミストロフ本人は戦闘のあと、ジューコフに宛てて、 「いつまでもT-34の欠点は改善されないのにドイツは新型戦車を持ってきたから圧倒的に不利です、こっちも早く新型戦車ください」と手紙を送っている。
終戦後、論文を多数執筆して軍事科学博士号を習得、教授となり後進の育成に努めた。
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示