コロバノフ のバックアップの現在との差分(No.13)
00は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX) 入手方法ドロップもしくは探索 セリフ一覧
元ネタ紹介ソビエト陸軍の戦車長、ジノヴィ・コロバノフ軍曹(後に中佐)が元ネタ 冬戦争並びに第二次大戦に従軍し、1958年に退役 ソビエト陸軍の戦車長、ジノヴィー・グリゴーリエヴィチ・コロバノフ軍曹(後に中佐)が元ネタ。 冬戦争並びに第二次大戦に従軍し、1958年に退役。 コロバノフは1941年8月19日(14日とする説や20日とする説もある)に、クラスノゴバルディスクにおいて5両のKV-1Eを率いて待ち伏せ攻撃を行った。 ドイツ軍は沼地の中に盛土をして作った道を進んでおり、コロバノフたちは2両を予備として後方に置き、3両がドイツ軍の側面にある森の中に戦車壕を掘って隠れていた。 両者の間には500~1000mの幅の沼地が存在していて、この距離では当時のドイツ軍が装備していた火砲でKV-1Eを破壊することは不可能だった。 (このときのドイツ軍は第6戦車師団の第11戦車連隊で、多数のPz 35tと極少数の四号戦車・二号戦車で構成されていたため、3.7cm砲・7.5cm短砲・2cm機関砲しかなかった) ドイツ軍が道を半ばまで通り過ぎたころ、コロバノフは初弾で先頭車両を撃破した。 このせいでドイツ軍は対戦車地雷による爆発だと勘違いしてしまい、全体の足を止めてしまう。 コロバノフは続けて最後尾の車両を砲撃し行動不能に追い込み、ドイツ軍は前進も後退もできなくなった。 後は射撃訓練のようなもので、コロバノフたちは安全圏から一方的にドイツ軍を攻撃し個人で21~22両の戦車を撃破。 また全体では43両あまりの戦車を破壊した。 第11戦車連隊の戦車定数が239両なので、コロバノフたちはたった5両で師団の戦車戦力を1/6も失わせたことになる。 KV-1Eソ連のKV-1重戦車には生産時期に応じて無数のバリエーションがあるが、1941年夏にコロバノフが乗っていたと紹介されているのはKV-1Eである。 Eとはエクラナミ(増加装甲)の略で、その名の通り砲塔と上部・下部車体側面にボルト留めの35mm増加装甲を持っているのが最大の特徴。 フィンランド軍に捕獲運用された2両のKVのうちの片方としても有名で、パロラの戦車博物館に現存している。 1940年型前期型から強化型砲塔や溶接タイプの増加装甲を持った後期型へ移行する過渡期に少数が生産されたと見られ、増加装甲以外は1940年型と一緒。 しかしそこはソ連らしく、砲塔のみがエクラナミで車体には全く増加装甲がないもの、下部車体にのみボルトオン装甲がないもの、転輪の小穴がないもの、 1940年型後期型仕様の車体で砲塔がエクラナミのままのものなど様々で、コロバノフが乗っていたとされる864号車がどのエクラナミなのかは不明瞭である。 なお、当然だが追加装甲を取り付けたことにより、重量が50tにものぼり、ただでさえ低かった機動力の更なる低下を招いた。 後日談
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