ベーケ のバックアップの現在との差分(No.16)
00は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX) 入手方法3-2-A 3-1-Cボスドロ確認(15/4/29) ドロップもしくは探索 セリフ一覧元ネタ紹介 第503重戦車大隊のフランツ・ベーケ少佐である。 この作戦の総指揮をとる南方軍集団司令官マンシュタインは、この事態に パンター戦車D型ドイツ軍の機甲戦術理論に合わせて開発されたⅢ号戦車とⅣ号戦車であるが、そのデビュー前から次世代戦車の構想は計画されていた。 用途別に車台を分けるのではなく、統一されたプラットフォームを用意し、目的に合わせて装備のバリエーションをもたせれば運用も整備も楽になる。 早速次世代の20トン級戦車の開発計画がスタートしたが、独ソ戦の開戦によりドイツ軍はT-34の登場に衝撃を受け、 戦車開発計画の大幅な見直しを迫られた。 装甲兵総監となったグデーリアンは後に戦車委員会と呼ばれる調査団を東部戦線に派遣し、T-34を徹底的に研究。 これの利点を取り入れた上で上回る強力な戦車の開発計画に転換。 20トン級から30トン級へと拡大され、計画を秘匿するためⅤ号戦車という計画名はそのままに心機一転開発がスタートした。 (Ⅵ号戦車ティーガーよりデビューが遅いのはこのため) さて紆余曲折を経て基本レイアウトの決まったパンターであったが、開発を視察したヒトラーから突如前面装甲の20mm増加を求められたこともあり、 増大した重量はエンジンや駆動系に大きな負担をかけた。 30トン級から35トン級として始まった計画も完成品は45トンという重戦車そのものだったが、パンターはあくまで中戦車として扱われた。 デビュー戦となるクルスクでは車体の問題に加え実戦経験の不足した部隊への配備も相まって期待した活躍はできなかったが、 欠点を改良され運用になれるとドイツ軍戦車部隊の中核を担った。 ヒトラーが強く要望した砲塔正面100mm、車体正面は傾斜した80mmの重装甲は連合軍戦車の砲弾をことごとく弾き返し、 70口径7.5cm砲は2000m離れた敵戦車を一方的に撃破できた。 パンターD型は初期の生産型である。初期はA型と呼ばれていたはずなのだがいつの間にかD型になり、 改良型がA型と呼ばれるようになった。 防諜や敵を撹乱するためとか、書類上の間違いとかいろいろ言われるがはっきりとした理由は不明。 後日談
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