マリノフスキー のバックアップソース(No.3)
|333|BGCOLOR(#db8):100|BGCOLOR(#eda):100|BGCOLOR(#db8):100|BGCOLOR(#eda):100|c
|&attachref(,nolink,);|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''図鑑No.000''|
|~|兵科|>|>||
|~|型式|>|>||
|~|イラストレーター||CV||
|~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''初期装備''|
|~|>||>|---|
|~|>|---|>|---|
|~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''改良時の装備''|
|~|>||>|---|
|~|>|---|>|---|
|~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''ステータス''|
|~|体力|00/&color(Red){00};|>||
|~|火力|00/&color(Red){00};|命中|00/&color(Red){00};|
|~|装甲|00/&color(Red){00};|回避|00/&color(Red){00};|
|~|対空|00/&color(Red){00};|偵察|00/&color(Red){00};|
|~|移動||種別||
|~|射程||占領||
//|~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''固有スキル''|
//|~|>|>|>||
|~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''消費資材''|
|~|&ref(画像置場/燃料.png,nolink,70%);|00/&color(Red){00};|&ref(画像置場/弾薬.png,nolink,70%);|00/&color(Red){00};|
|>|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''改良・昇格''|
|>|>|>|>|CENTER:''ミリ姫名'' ⇒ ''ミリ姫名Ⅱ(Lv)''|
//|>|>|>|>|CENTER:''ミリ姫名'' ⇒ ''ミリ姫名Ⅱ(Lv)'' ⇒ ''[[ミリ姫名昇]](Lv)'' ⇒ ''ミリ姫名昇Ⅱ(Lv)''|
|>|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''図鑑説明''|
|>|>|>|>||


&color(Red){00};は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX)

*入手方法 [#get]
実装日:2016年00月00日
*セリフ一覧 [#cv]
#region("クリックで展開")

#table_edit2(,table_mod=open){{

|BGCOLOR(#ddd):140|BGCOLOR(#ddd):|440|c
|>|>|BGCOLOR(#db8):''ミリ姫獲得''|
|>|ミリ姫獲得||
|>|>|BGCOLOR(#db8):''司令部''|
|>|司令部(秘書選択)||
|>|司令部画面||
|>|~||
|>|~||
|>|部隊編成(配置)||
|>|補給||
|休養|短時間||
|~|長時間||
|>|高速休養||
|>|強化・改良・装備||
|>|~||
|>|探索・特務開始||
|>|帰還・特務終了||
|>|探索終了||
|>|戦績表示||
|>|放置||
//
|>|>|BGCOLOR(#db8):''出撃''|
|>|出撃開始||
|戦場マップ(拠点踏み)|ポジティブ||
|~|ネガティブ||
|>|戦闘開始||
|>|攻撃||
|>|~||
|被弾|ダメージ||
|~|~||
|~|大破||
|~|擱座||
|>|掃討戦開始||
|>|攻撃(掃討)||
|>|MVP||
//|>|敗北||
|>|缶入りチョコ使用時||


}}

#endregion
*元ネタ紹介 [#introduction]
ロディオン・ヤーコヴレヴィチ・マリノフスキー
1898~1967 享年69歳
ロシア帝国のオデッサでユダヤ系(カライ派)農民の家庭に生まれる。12歳で学校をやめ、農民やメッセンジャーボーイとして働いた。1914年、第一次世界大戦の勃発とともにロシア軍に志願し、機関銃手となる。負傷や上等兵への昇進を経て、ロシア・フランス派遣軍の一員としてフランスに赴く。1917年の10月革命に同調したため、フランス当局に逮捕された。1919年8月にロシアに戻ると赤軍に投じ、ロシア内戦の終結まで極東でコルチャーク軍との戦闘に従事した。
1926年、ソビエト連邦共産党に入党。1927年に大隊長となり、フルンゼ軍事大学で学び1930年に卒業。第2騎兵師団参謀長、師団長を歴任。4年間の参謀本部勤務ののちベッサラビアで騎兵軍団長に就任した。スペイン内戦では共和国軍の軍事顧問を務め、「マリーノ大佐」と呼ばれていた。その後少将に昇進し、フルンゼ軍事大学教官となる。
第二次世界大戦中の1941年、オデッサ軍管区の第9独立軍第48軍団長に任命される。8月には南部戦線で第6軍の、12月から第12軍の指揮を執った。1942年には第2親衛軍を指揮し、スターリングラードの戦いでドイツ軍を破った。この戦いが終結したのちの1943年2月から上級大将に昇進して南部戦線司令官となり、さらに戦局の推移に伴い南西戦線、第2ウクライナ戦線、第3ウクライナ戦線を指揮し、ルーマニア、ハンガリー、スロバキアへの突破に成功した。1944年9月にソ連邦元帥に列せられ、ルーマニア軍の降伏を受け入れた。1945年4月、連合国のルーマニア管理委員会委員長。
勝利勲章の数少ない受章者であり、ソ連邦英雄2回。その他レーニン勲章、第1級スヴォーロフ勲章、クトゥーゾフ勲章、聖ゲオルギー勲章など、受勲多数
*コメント [#contemt]
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