ヴィスコンティ のバックアップの現在との差分(No.4)
00は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX) 入手方法ドロップもしくは探索 セリフ一覧
元ネタ紹介}} 元ネタはアドリアーノ・ヴィスコンティ少佐。 入隊直後に軍規違反を起こして地上攻撃隊から偵察隊へ左遷されたものの、遭遇した英軍機を振り切って生還した事から原隊へと復帰 その後は戦闘機パイロットへと転身を果たして各地を転戦、撃墜数を重ねエースパイロットとなった。 時機を見る事に長けていたようで、戦友を愛機に押し込んで劣勢になった戦地からすんでところで離脱、捕虜になることを免れている。 休養時のセリフの「四人乗り」はイタリア王国降伏時、指揮系統断絶の折の帰還エピソードから。 父親の影響で強い愛国心を持つ彼は、共和制移行後完全にドイツの傀儡と成り果てたイタリア社会共和国をそれでも支え続けた。 第I航空群「アッソ・デイ・バストーニ(クラブのエース)」の指揮官となり奮戦するも劣勢は如何ともし難く、ついにミラノで降伏。 降伏の交渉中に副官のステファニーニ少尉とともにパルチザンによって殺害されるという非業の最期を遂げた。享年29歳。 生涯撃墜数は26機とされているが、本人は「10機以上は落としたことがない」と主張していたという MC.205V "Veltro"MC.205Vヴェルトロはイタリアのマッキ(Macchi)社が開発した戦闘機。因みに、ヴェルトロとは"グレイハウンド"の事。 設計は前身のMC.202を改良する形で、大きく改良したMC.205Nオリオーネと改良点の小さなMC.205Vヴェルトロの二本立てで行われた。 軍としてはMC.205Nの方が本命で、MC.205Vは[MC.205N/G.55/Re.2005]の5シリーズまでの”繋ぎ”の戦闘機の予定だった。 ところが実際に飛ばしてみると、この中で最も優れた飛行性能を示したのはMC.205Vであったため、MC.205Nは廃案となりMC.205Vの採用が決まった。 だが量産に移ったもののドイツからライセンスを購入したDB605系エンジンの開発に手間取ってしまう。 結局のところ実戦投入はイタリア降伏直前になってしまい、戦闘ではP-51と渡り合うなど優秀な成績を収めたものの、あまり活躍は出来なかった。 武装は当初7.7mm機関銃二門(翼内)と12.7mm機関銃二門(機首)だった。 だが連合軍の爆撃機に対して威力不足が目立ってきたため、翼内の7.7mm機関銃をMG151/20(独:マウザー社製20mm機関砲)に換装して生産された後期生産型が主流となった。だが、12.7mm機関銃はそのまま。 他にもBf109のようにモーターカノンを装備させた実験機や、高高度迎撃仕様のN-1型(愛称はオリオーネだが試作案のN型とは別物)などが存在する。 ヴェルトロは戦後の1947年まで運用が続けられた。 後日談
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