Comments/トルニ のバックアップソース(No.5)
[[トルニ]] -土俵入りに見える -- &new{2015-02-28 (土) 11:04:06}; -昇格 15 ラハティL-39 もってくる・・・トルニ砲と名づけよう(おい -- &new{2015-03-03 (火) 18:16:02}; -元ネタはラリー・ソーンだが、舞台が戦時中のためか著名なそれではなくフィンランド名からとられていると思われる。 WW2の後も戦い続け、最期はベトナムで散ったまさに戦争の申し子。 -- &new{2015-03-06 (金) 02:54:45}; -出生地フィンランドでの名前は出生名はラウリ・アラン・トルニ(Lauri Allan Törni)。 「モッティ戦術」のマッティ・アルマス・アールニの部下だったことも。ソ連当局に懸賞金をかけられた、唯一のフィンランド将校。 -- &new{2015-03-08 (日) 02:06:23}; --冬戦争では猟兵としてソ連軍後方に浸透する作戦に従事。 続く継承戦争でも「トルニ支隊」と呼ばれた自らの部隊を率いた。 この際多大な戦果を挙げ、ソ連当局から懸賞金を掛けられた。 しかし、継承戦争もフィンランドとソ連がモスクワ条約を締結し停戦。 停戦後はナチス・ドイツの支援を受け親独レジスタンスの設立に関与し、自らも工作員として暗躍した。 さらに終戦間際の1945年、ドイツに渡り武装SS特殊部隊に入隊。 以降終戦まで北欧各地で特殊作戦に従事した。 第二次世界大戦が終戦後、ソ連の影響下に置かれた母国で反逆者として逮捕されてしまう。 何度かの脱走と再逮捕を繰り返した後、フィンランドから逃亡し世界各地を転々とした。 最終的にはアメリカに渡り、1954年に外国人として米陸軍に志願入隊した。 そこで同様に亡命していたかつての戦友や上官と再会し、英名として「ラリー・ソーン」と名乗り始める。 「非常に反共産主義的」という理由もあり、米陸軍初の正式な特殊部隊となる第10特殊作戦グループに配属された。 配属されてからは大戦中の活躍を元に各種サバイバル技術やゲリラ戦術の教官を務めた。 数年後ベトナム戦争が始まると特殊部隊として現地に派遣され、民兵組織の訓練の傍ら戦闘にも参加。 その後非正規戦部隊MACV-SOG(ベトナム軍事支援コマンド 研究・観察グループ)に転属される。 1965年10月、極秘越境作戦に従事中に登場していたヘリが墜落、救助隊が送られるも発見はされなかった。 2003年に遺骨鑑定により死亡が確認され、アメリカ人としてアーリントン国立墓地に埋葬された。 -- &new{2015-03-10 (火) 02:07:40}; |