ミリ姫大戦 攻略 Wiki
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> バスキーフィールド
バスキーフィールド
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**オードナンス QF6ポンド砲 [#f2fd13ab] 1936年から2ポンド砲(口径40mm)の配備を開始したイギリス軍であるが、各国の(そして自国の)戦車技術の急速な発展を鑑みても、 これが早期に陳腐化する可能性が高いことから、すぐにもより強力な6ポンド(口径57mm)対戦車砲の開発に着手した。 特に1934年にフランスで誕生したルノーB1重戦車とその2年後に現れた改良型のB1bis、さらに1938年から量産の始まった自国のマチルダⅡ戦車の重装甲は、 当時各国の主力対戦車砲ではほとんど対抗が困難であったことも、来るべき重戦車への対抗策の必要性を感じさせた。 #br 1940年、ダンケルクの撤退により大量の重装備を失ったイギリス軍は速やかに装備を補充する必要に迫られた。 この時6ポンド砲の砲架はまだいくつか改良すべき点が残っていたことと、生産設備の関係から2ポンド砲の生産がとりあえず優先され、 6ポンド砲の配備は1942年5月までずれ込んだ。 それでも配備が始まると苦戦の続く北アフリカ戦線へ配備され、連合軍反撃の原動力となった。 またクルセーダーやクロムウェル、ヴァレンタインやチャーチルといった英国戦車の主砲としても採用されている。 1943年には自国の37mm対戦車砲の威力不足からアメリカ軍も採用した。 しかし北アフリカでティーガー戦車に遭遇すると早くも威力不足という問題に突き当たり、17ポンド砲の配備が進められることになるが、 6ポンド砲の3倍近い重量となる17ポンド砲の運用は様々な制限を生じさせたため、6ポンド砲はAPDSなどを用いて平行して使われた。 #br 戦後も利便性の高さから1960年代まで運用されていた。
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|333|BGCOLOR(#db8):100|BGCOLOR(#eda):100|BGCOLOR(#db8):100|BGCOLOR(#eda):100|c |&attachref(./バスキーフィールド.png,nolink,);|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''図鑑No.189''| |~|兵科|>|>|牽引砲| |~|型式|>|>|QF6ポンド砲| |~|イラストレーター|冬馬来彩|CV|嶋村侑| |~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''初期装備''| |~|>|APDS弾(プロト)(ドロップのみ)|>|---| |~|>|---|>|---| |~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''改良時の装備''| |~|>|なし|>|---| |~|>|装備不可|>|装備不可| |~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''ステータス''| |~|体力|27/&color(Red){00};|>|| |~|火力|36/&color(Red){00};|命中|46/&color(Red){00};| |~|装甲|10/&color(Red){00};|回避|5/&color(Red){00};| |~|対空|35/&color(Red){00};|偵察|20/&color(Red){00};| |~|移動|牽引|種別|非装甲| |~|射程|中距離|占領|不可| |~|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''消費資材''| |~|&ref(画像置場/燃料.png,nolink,70%);|40|&ref(画像置場/弾薬.png,nolink,70%);|40| |>|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''改良・昇格''| |>|>|>|>|CENTER:''バスキーフィールド'' ⇒ ''バスキーフィールドⅡ(Lv18)''| //|>|>|>|>|CENTER:''ミリ姫名'' ⇒ ''ミリ姫名Ⅱ(Lv)'' ⇒ ''[[ミリ姫名昇]](Lv)'' ⇒ ''ミリ姫名昇Ⅱ(Lv)''| |>|>|>|>|BGCOLOR(#aaa):CENTER:''図鑑説明''| |>|>|>|>|やぁ、バスキーフィールドだよ。お肉屋さんで働いてたけど、徴兵されて陸軍に入隊したんだ。&br;アルンヘムの戦いのオーステルベークを巡る戦いで、この6ポンド対戦車砲で2両のティーガーを撃破したのが僕の最大の武勇伝さ、すごいだろう?&br;ヴィクトリア十字章も貰ったんだぜ!| &color(Red){00};は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX) *入手方法 [#get] 実装日:2015年8月19日 イベント「[[トブルク要塞を攻略せよ!リベンジ>イベント/トブルク要塞を攻略せよ!リベンジ]]」初級ミッションクリア報酬及びボスドロップ *セリフ一覧 [#cv] #region("クリックで展開") #table_edit2(,table_mod=close){{ |BGCOLOR(#ddd):140|BGCOLOR(#ddd):|440|c |>|>|BGCOLOR(#db8):''ミリ姫獲得''| |>|ミリ姫獲得|やぁ、バスキーフィールドだよ。僕のことはジャックって呼んでくれてもいいよ。| |>|>|BGCOLOR(#db8):''司令部''| |>|司令部(秘書選択)|わかったよ司令官!なんとしても、司令官を守ってみせるよ!| |>|司令部画面|ジャックを呼んだかい!?| |>|~|僕も一緒に作戦を考えようか!?| |>|~|はいはいはいはいはいはいはいはいはいッ!!!| |>|部隊編成(配置)|やったあ!僕、頑張るよ!| |>|補給|美味い肉選びには、ちょっと自信あるんだぜ。| |休養|短時間|ふぁ~あ~ァ…おひるね~…| |~|長時間|ごめん、ちょっといってくるよ。| |>|高速休養|よーし!いつでも動けるよ!| |>|強化・改良・装備|おぉ~!カッコいい~| |>|~|この弾は、アメリカ製かな。| |>|探索・特務開始|ちゃんと伝えてきたよ!えらい?| |>|帰還・特務終了|みんな、おかえり!| |>|探索終了|おぉ~? 新しい仲間かぁ?| |>|戦績表示|これが、今の状態だな…| |>|放置|さってっとぉ…準備運動でもしてこようかなぁ~。いつでも動けるように、&br;身体を温めとかなきゃね!| // |>|>|BGCOLOR(#db8):''出撃''| |>|出撃開始|さ、出撃の時だね!| |戦場マップ(拠点踏み)|ポジティブ|よっしゃあ!| |~|ネガティブ|あれっ?こんなはずじゃあ…| |>|戦闘開始|僕の準備運動くらいにはなってね!| |>|攻撃|僕の6ポンド砲を見くびるな!| |>|~|いけー!| |被弾|ダメージ|このくらい、平気さ!| |~|~|いってって…何すんだよぉ!!| |~|大破|片手でも、砲は撃てるんだからな!| |~|擱座|うぇぇ…もう…戦えないよっ…チックショ~~~~~!!!!| |>|掃討戦開始|僕は、絶対に逃げない!| |>|攻撃(掃討)|面白くなってきたね!| |>|MVP|僕の本気、見てくれた?| //|>|敗北時|チックショ~~~~~!!!!| |>|缶入りチョコ使用時|ほー、どうしよう。すごくおいしいよ。| |>|バウムクーヘン使用時|ほわ~、ドイツの焼き菓子ってこんなに美味しかったんだ。もっと食べたいよ!| }} #endregion *元ネタ紹介 [#introduction] ジョン・"ジャック"・ダニエル・バスキーフィールド。1922年に歴史ある陶器産業の街、ストーク・オン・トレントで父ダニエルと母ミニーの間に生まれる。 肉屋として働いていたが、1942年に19歳で徴兵され、陸軍に入隊。北アフリカ戦線やシチリア島などで戦闘した後、本土へ帰還。 #br 1944年9月、ドイツ軍の開発した報復兵器V2ロケットによるロンドン及びアントウェルペンの爆撃が始まり、これを可及的速やかに阻止する必要性が生じたことから、 [[モントゴメリー]]主導でマーケット・ガーデン作戦が実施される運びとなった。 [[アーカート]]率いるイギリス軍及びポーランド軍は北部アルンヘム(アーネム)橋の確保目指して空挺降下し進軍を開始したが、空挺によりジープの半数が故障し、無線機の周波数を間違えるなど不運に見まわれた。 部隊の集結もままならないうちに橋の奪取作戦が開始されたが、予想外の大規模部隊が展開され失敗。 部隊はオーステルベークへ後退したが、そこは元々ドイツ軍司令部が置かれていたため、空挺作戦を察知して一時後退していたドイツ軍の猛反撃を受けることになる。 バスキーフィールドは2門の対戦車砲を指揮し、アルンヘムへ向かう道路上のアカシアラーンと呼ばれる交差点で敵を待ちぶせ、ティーガー2両と自走砲1両を撃破したが、 猛攻撃にさらされ重傷を負う。部下もほとんどが戦死する中、一人で6ポンド砲を撃ち続け、砲が破壊されるともう一門の砲まで這いずっていき、さらに一両の自走砲を破壊したが、 そこで敵戦車の砲撃を受け6ポンド砲は完全に沈黙した。 #br 1945年4月、アルンヘムが解放され、連合軍戦死者の確認が始まるとマーケット・ガーデン作戦による戦死者の遺体収容も行われた。 しかしアカシアラーン周辺でバスキーフィールドと思われる遺体、それらしき身元不明遺体、遺留品はいずれも収容することができず、破壊された6ポンド砲だけが残されていた。 #br 1944年11月、アルンヘムでの一連の戦闘の功績により、イギリス軍最高の栄誉であるヴィクトリア十字章が授与された。 1990年には砲弾を構え、勇敢に戦う姿の彫像が故郷に作られている。 **オードナンス QF6ポンド砲 [#f2fd13ab] 1936年から2ポンド砲(口径40mm)の配備を開始したイギリス軍であるが、各国の(そして自国の)戦車技術の急速な発展を鑑みても、 これが早期に陳腐化する可能性が高いことから、すぐにもより強力な6ポンド(口径57mm)対戦車砲の開発に着手した。 特に1934年にフランスで誕生したルノーB1重戦車とその2年後に現れた改良型のB1bis、さらに1938年から量産の始まった自国のマチルダⅡ戦車の重装甲は、 当時各国の主力対戦車砲ではほとんど対抗が困難であったことも、来るべき重戦車への対抗策の必要性を感じさせた。 #br 1940年、ダンケルクの撤退により大量の重装備を失ったイギリス軍は速やかに装備を補充する必要に迫られた。 この時6ポンド砲の砲架はまだいくつか改良すべき点が残っていたことと、生産設備の関係から2ポンド砲の生産がとりあえず優先され、 6ポンド砲の配備は1942年5月までずれ込んだ。 それでも配備が始まると苦戦の続く北アフリカ戦線へ配備され、連合軍反撃の原動力となった。 またクルセーダーやクロムウェル、ヴァレンタインやチャーチルといった英国戦車の主砲としても採用されている。 1943年には自国の37mm対戦車砲の威力不足からアメリカ軍も採用した。 しかし北アフリカでティーガー戦車に遭遇すると早くも威力不足という問題に突き当たり、17ポンド砲の配備が進められることになるが、 6ポンド砲の3倍近い重量となる17ポンド砲の運用は様々な制限を生じさせたため、6ポンド砲はAPDSなどを用いて平行して使われた。 #br 戦後も利便性の高さから1960年代まで運用されていた。 *後日談 [#g18dad95] #region("ネタバレ注意") 地元に帰ると英雄として凱旋パレードが行われるなど 自分の扱いに戸惑ったらしいが無事本職の肉屋に戻り 平和な時間を楽しんでいる。ただ、公園に建つ自分の 銅像には未だ気恥しいようだ。 #endregion *コメント [#contemt] #pcomment(,reply,10,)