オコーナー のバックアップの現在との差分(No.13)
00は改良+強化+レベルMax時(とにかくMAX) 入手方法ドロップもしくは探索 セリフ一覧元ネタ紹介本名リチャード・オコーナー。1889年当時イギリス植民地だったインドで生まれる。 1940年、イタリアが英仏に宣戦布告するとオコーナーは中将に昇進となり、西方砂漠軍の指揮を任命される。 英軍は数でこそイタリア軍に劣っていたが、欠点はあれども近代的なマチルダⅡ戦車を主力とした機械化がなされており、 1940年、イタリアが英仏に宣戦布告するとオコーナーは中将に昇進となり、ウェーヴェルの配下で西方砂漠軍の指揮を任命される。 英軍は数でこそグラツィアーニ率いるイタリア軍に劣っていたが、欠点はあれども近代的なマチルダⅡ戦車を主力とした機械化がなされており、 一方のイタリア軍の主力戦車はL3カルロヴェローチェが大半であり、歩兵の機械化も十分ではなかった。 イタリア軍の弱点を見ぬいたオコーナーはあえて前線を後退させてイタリア軍の補給線を引き伸ばさせ、 後方でしっかりと準備を整えるとコンパス作戦を発動。 モニター艦による砲撃と空軍の援護に支えられたマチルダ戦車によってイタリア軍を撃破した。 快進撃によってイタリア軍をリビアまで押し返したが、気まぐれなムッソリーニがギリシャへ侵攻を始めたことで、 援軍を送るために進撃を停止。その間にロンメル率いるドイツアフリカ軍団が到着し、オコーナーは捕虜になってしまう。 援軍を送るために進撃を停止。その間にロンメル率いるドイツアフリカ軍団が到着し、オコーナーは捕虜になってしまう。 収容所でオコーナーは早速脱走を計画し、2度実行したが最初は計画が露見し失敗、2度目は脱走には成功したものの逃亡中に逮捕された。 イタリア降伏後のドサクサに紛れて3度目の脱走に成功し、本国に戻るとモントゴメリーの配下としてノルマンディーやマーケットガーデンを戦った。 イタリア降伏後のドサクサに紛れて3度目の脱走に成功し、本国に戻るとモントゴメリーの配下としてノルマンディーやマーケットガーデンを戦った。 その後はインド方面に赴いて指揮を取り、1948年に軍を退役。 1981年に91歳で大往生した。 マチルダⅡ歩兵戦車第一次世界大戦で戦車の運用実績のあったイギリスでは、戦間期に今後の戦車をどのような方向性で開発していくか議論が分かれた。 フランス侵攻・及びアフリカ侵攻で枢軸軍の前に姿を表した近代的なマチルダⅡは衝撃的だった。 戦車に湯沸かし器イギリス人にとっては生活に欠かせない紅茶。しかし戦場でお湯を沸かすのは大変。 紅茶を飲もうとすると、戦車兵は外に出てお湯を沸かし、紅茶をつくらなければならなかった。 これでは時間もかかるし手間もかかり、しかも危ない…それならあのエンジン付きの巨大な装甲機械を活用すればいいんじゃないか? というわけで、戦車の電気系統を使った湯沸かし器「ボイリング・ヴェッセル (Boiling vessel)」が開発された。 オコーナーは「最新のイギリス軍の戦車」と言っているが、この装置は「第二次世界大戦終了時点で最新の戦車」だったセンチュリオン戦車に装備されたのが最初であり、 それ以降各種の戦車や装甲車に改良を重ねながら装備されてきた。 もちろん「現在のイギリス軍で最新の戦車」であるチャレンジャー2戦車にも装備されている。 今日ではこの装置はお湯を沸かすほかにレーションなどのレトルト食品を温めることにも使えるため、兵士たちの生活環境の向上には欠かせないものとなっているのである。 ティーバッグお茶を簡単に淹れられるティーバッグ(ちなみに下着の方はティーバッ「ク」)は、オコーナーの言うとおり元々アメリカで広まったもの。 イギリスには第二次世界大戦後に持ち込まれたが、当初は人気が無かった。 しかし日常的に飲む紅茶はやっぱり簡単に淹れたい、ということで徐々に浸透し、現在では95%以上の紅茶がティーバッグで淹れられているという。 後日談
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